壁紙:坂田靖子「バジル氏の優雅な生活」
5月6日(火)さよなら
憑き物が落ちた。なるほどねえ、くろきさんの掲示板まで行ってたんだ。なんだかね。
あのときはくろきさんにお世話になったからなあ(遠い目)。
ということで今回の騒動はこれにて私としては打ち切りします。さよなら。
ところで、風野さんのところの意見も役に立つよ。ここね。
5月3日(土)
ほほう、停止したですぺら掲示板の議論の続きをするという妙な掲示板が出現している。藤田という人物が2ちゃんねるに実名で現れて、宣伝している。
こいつたぶんですぺら掲示板に現れた「匿名」だね。文体と論理が酷似している。また、俺のところにはアクセスログが残っているので、照合すればはっきりするよ。
面識はないが、私はこの男のことを聞いている。過日、ですぺらに来て、たまたま店に来た宇野邦一にぼこぼこに論破されていたという。まあ、その程度の男ですな。
で、ですぺらにこの男の書いた論文があったので、読んでみたが、なんというか単なるカタカナの羅列をつなぎあわせたようなひどい代物であった。ちっともわからなかった。おそらく、私には一生縁のない人物である。
で、ですぺら掲示板の続きをするというならば、すくなくともそういう趣旨で動きますよと、普通なら管理人である私に、一言メールでも送って寄越すべきであろうが、そんなこともない。失礼な。
で、揚げ句の果てに、俺のことをヒトラーやポル・ポトやタリバンのようなファシストだと断じている。でも、タリバンってファシストなの?
こいつも人間の屑であるな。あまりに腹立たしいのでこの日記には書いたが、今後も相手にしないつもり。
5月2日(金)
朝起きて、頭が目覚めていない状態でですぺら掲示板を眺めてみたら、いっそうひどい事態になっている。会社に行ってから見よっと思った。出勤途中、一考さんから携帯電話に電話がある。
「掲示板をしばらく停止すればいいんじゃない。書き込みできないけど、読めるという形式にできた思うよ。マニュアルを見ないといけないけど。」
出社して、掲示板をじっくり読む。メールも来ていた。ひどいね。しかも、一考さんがすでに降りている。まったく、気が小さいんだから。全共闘世代、どかっと肝太く持ってくれよ。頼むよ。
掲示板は投稿不能に設定。
会社でLinuxサーバを立てて、ファイルサーバを動かそうとしている。
FTP,telnet,WebDAVを動かそうというつもりである。
FTPとtelnetはローカルではちゃんと動くのであるが、グローバルでは動かない。おかしい。
FireWallを解除しても動かない。ルーターだな。ルーターは別管理なので、いろいろ試してもらったが結局動かない。
掲示板を止めてしまったと言う事態を受けて、またですぺらへ。相談しなくてはいけないから。行ってみたら、客多数。しばらく話できず。
結局、またまた泥酔して朝6時過ぎ帰宅。
5月1日(木)
ですぺら掲示板に不穏な動きが。人間の屑である匿名がなんのかんのと言っている。しかし、この間ほどのひどい言葉ではないと判断したので、放置する。マリオという外人がよーわからん英語でなんのかんのといっているが、まあ返事を書きたい人が書けばいいでしょ。俺にどうこうせいと言われてもなー。
4月30日(水)
朝起きたばかりのところで電話。掲示板にひどい書き込みがあったので、削除したほうがいいという。当然書き込みを見ていなかったので、PCを起動して読んでみた。こりゃひどい。メールアドレスも書かず、匿名で、自分を安全な立場において、悲嘆に暮れている人にひどい言葉を投げつけている。最低なやつである。人間のくずである。当然、削除。
会社で打ち合わせの続き。こないだ中断したからね。
夕方、PCをウィルスに完全に破壊されたかわいそうな人の所に赴き、PCをレスキューして、再セットアップ。セキュリティ対策はしといたほうがいいね。
帰り道が赤坂見附だったので、ですぺらで軽く一杯引っかけて、帰宅。
4月29日(火)
本来ならば、最後のお別れということで告別式に行くべきなのであろうが、あいにく私は告別式は嫌いである。生身の肉体が骨になる様を見るのが辛いのである。今回も遠慮させてもらった。
終日寝ていた。
4月28日(月)
悲しい知らせがあったとはいえ、仕事はせねばなるまい。会社へ行って、打ち合わせ。
午後、葬儀の場所が変わったとの電話が入る。再度、ですぺらから電話。
一考氏「奥歯の葬式にワインを運ぶので手伝ってくれないか?一時間後にですぺらに来てほしい。葬式の段取りがうまくなくて、飲み食いの手配もできてないらしい。」
私「うーむ、そんなことも起こるかとは予想できたが、そうだったか。」
ところで、こっちは葬式の場所が家から近いので仕事を早めに終わらせて、いったん家に戻って着替えてから葬式に向かう予定を立てていたのである。だから、バグズ・バニーのトレーナーにジーンズのいでたちなのであった。
私「どうしょうかな、わかった行くよ。」
ということで赤坂に向かって、赤坂見附に駅に着いたところで、電話してみると、今神楽坂にいるとの返事。それ、先走って気を回しすぎ。結局ですぺらの前で暫く待機した。
ワインや乾きものを車に積んで、落合へ向かう。結局、一考さんは葬式に一人で行くのが嫌で、俺を連れ出したのだと推測した。
黄金週間とはいえ、平日の夕刻である、車が混雑していて、時間がかかる。赤坂から落合へ向かい途中に、奥歯が住んでいた家の近所を通過した。道に迷いながら、葬儀場に到着したのは6時少し前であった。ワインを運んで、私は喪服に着替えるために家に向かった。間に合うかな。
帰宅して準備を整え、再び葬儀場に着いたのは7時を少し過ぎていた。受付で香典を渡そうとしたら、係の人に「記名だけして下さい。香典は下でご遺族に直接渡して下さい。」と言われた。気後れした。
階下に下りる。参列者の焼香は済んでいたようで、一人寂しく焼香する。さようなら二階堂奥歯。この期に及んで、あの世が気に入らんとか言って、帰ってくるなよ。冥福を祈る。
奥歯のお母さんに香典を渡した。
浄めの席に入ったら、顔見知りがたくさんいた。掲示板が有効に機能したのである。しかし、浄めの間は通常の葬式に比べて静かで暗く沈んでいた。だめだよ、こういう場所ではもっと賑やかにしなきゃ。死んだ人間が喜ばないでしょ。
雪雪さんに初めて会った。
哲君を励ましたり、ご遺族と話した。奥歯の死に顔に向かって説教を垂れた。
そうこうして、8時頃、会場を離れて、ですぺらへ。店ノ前で、浄めの塩を撒いた。奥歯が付いてきそうだったから。私はずっと怒っていたのである。
その後のことはよく憶えていない。葬儀の参列者達が入れ替わりですぺらを訪れた。東雅夫は遅めに来店して、結局朝方までいた。
酔っぱらって帰宅した。朝6時を過ぎていた。
4月27日(日)
遅めに朝目覚めて、サンデープロジェクトを見たり。だらだらとしていた。
午後1時過ぎだったと記憶する、渡辺一考氏から電話。
「メール見たか?」
私「みてないけど。何?」しばしお互い沈黙。
一考氏「奥歯が死んだよ。以下略」
私「えっ!」しばし絶句した。
私「本当に死んだの?。」
一考氏「お通夜は何時から、告別式は何時から、場所はうんぬん。」本当に死んだんだ。
私「わかった。場所は調べて行くよ。これ、掲示板で告知したほうがいいんじゃない?死因はわかるから書かなくていいよ。その方がいいと思うよ。」
一考氏「そうか。わかった。俺が書いとく。」
電話の後、すぐにメールをチェックしてみた。
Date: Sun, 27 Apr 2003 13:08:03 +0900
To: 櫻井清彦 <gg9k-skri@asahi-net.or.jp>
Subject: 訃報
御友人の方から、牛込櫻会館関係者への伝達を頼まれましたので、転送いたします。
なお、ネット上への掲示は御遠慮くださいとの事です。
東雅夫拝
昨日26日深更、二階堂奥歯こと佐々木絢子さんが亡くなられました。
下記の日程で、通夜・告別式がおこなわれますので御案内申し上げます。
通夜 4月28日(月)18:00より
告別式 4月29日(火)12:00より
会場 落合斎場(通夜・告別式とも)
東雅夫からメールが届いていた。あれれ、ネットに載せるなと書いてある。
奥歯の日記を見てみた。自殺しましたと自分で書いている。なにー。どういうことだ?
暫くの間混乱してしまった。
再び、渡辺一考氏に電話し、協議。私の考えは固まっていたが。事ここに至った以上、事実を隠そうとしても隠しきれないだろう。だいいち本人が死にましたと書いている。奥歯が死んでしまった以上、故人をなるべく多くのゆかりの人たちで送るのがせめてもの生き残った者たちの礼儀であろう。ただし、遺族の了解は得ねばなるまい。とりあえず、一考さんが載せた告知は削除した。
一考さんは、哲君に電話し、ご遺族に話し、掲示板で告知することを説得・了解を取り付けた。
再び一考さんに告知を掲示板に書いてもらった。これでよかったと思う。奥歯の死を悼む人たちがいくたりか駆けつけてくれるだろう。
そして、奥歯のことを考え始めた。貰ったメールを読んだりした。悲しみと同時に怒りの感情が湧いてきた。なにも遺された家族や恋人の無念を越えてまで、自ら死を選ぶことはなかったんじゃないか。まったく、最後まで甘かったやつだった。
早めに酒を飲み始めて、酔っぱらって眠ってしまったよ。
4月26日(土)
疲労がたまっていたのか、眠ってばかり、ネットをもほとんど見ず。
4月19日(土)
またまた日記が止まっているが、これは毎日仕事で疲れているせいである。いや、注文は皆目無いんですけどね。
で、一つ考えが閃いた。日記を会社の通販サイトに移動してしまう。すると、不思議なことにそれは仕事となるから、仕事中に堂々と日記を書いてもよいということになる。書くのに必要な時間は同じなんであるが。仕事中に書くか、プライベート時間に書くかの違いである。大きな違いであるが。
それと、内容がプライベートなことにまで踏み入ることになるから、不都合が生じる可能性はある。不都合は隠蔽してしまえばよいという方法はあるが、それは個人的に好きではない。また、耳に入ってくる業界情報には公にするに憚られる内容のものもある。これは書けないよねえ。
櫻井清彦という人格と櫻井潔という人格は別人であるというふうに強弁する手もあるが、これも常識から考えれば採用しがたい。
ということでちょっと思案中。
3月16日(日)
会社を始めたけれども、まだ注文はない。まあ、営業してないからねっ。
ということで、ささやかながら自分の日記で宣伝しておこう。
僕らの会社では、
●パソコン本体、周辺機器(プリンタとかデジカメから、ハードディスク、マウスまで)の販売
●ネットワークなどのシステム構築
●ホームページ作成・ウェブサイト構築
●もっとくだけて、パソコンよろづ相談
を行っております。
パソコン関係はマックに限らず、ウィンドウズ関係本体その他も仕入れることができるようになっています。
どんな些細なことでもご相談に応じますので、気軽にご連絡ください。
アイサシステム有限会社
代表取締役 櫻井 潔 ←本名
東京都千代田区外神田6-12-4 ビッグウェストビル1号館 南3F 〒101-0021
電話:03-5816-1246 FAX:03-5816-1247
mail:sakurai@aisasystem.co.jp
3月15日(土)
突然思い立って、サイトの引っ越しを始める。
2月23日(日)
やはり寝てばかり。体力的にはもうだめかも。年取ったとわれながら思う。
2月22日(土)
やはり死に体でくたばっていた。
2月21日(金)
昼飯は「てんや」で天丼490円(税別)。
午後やっと会社の電話工事をしてもらって、電話開通。
夜、前の会社の友人が来て、御徒町で飲む。
2月20日(木)
会社で一人で仕事。
昼飯は「ゆで太郎」←立ち食いそば
2月19日(水)
昼飯は御徒町の「日高屋」にて味噌ラーメン大盛440円(税別)。大量生産の味がした。
2月18日(火)
あらら二日酔いである。へろへろのまま出社。などといいながら、夜にはまたウィスキーを飲む。うまうま。
2月17日(月)
さて何度目の誕生日であろう。
仕事を早めに切り上げて、自宅に帰ると家族からウィスキーのプレゼント。ありがたい。
家族にうまいウィスキーの銘柄を教えておかなかったことが悔やまれるが、まあよいであろう。気分よくしたたかに酔う。
2月16日(日)
疲れてくたばっていた。体が労働者体質から遠ざかっていたからなあ←しかも、すでに労働者ではないし。
徐々に体を慣らしていくしか方法はないだろう。
2月15日(土)
朝8時頃目覚めたけれども、二度寝。
焼きそばを作って食べた後、午後出勤。間借り先の社長と打ち合わせ。
間借り先の社長(あえて詳細は述べない)は太っ腹だわ。大いに感心する。
夕方、ですぺらに出かけて飲酒。僕が提案したセットメニューができていた。これはお薦め。
店仕舞いまで居座って、車で送ってもらって帰宅。
2月14日(金)
秋葉原貧乏グルメツアー。
今日は「神戸らんぷ亭」。僕は280円牛丼。安い。これもひさびさ。というか2回目ぐらいかな。
ビンボーを脱出したいと思ったぞ(笑)。
企画書てきとーに作る←それでいいのかっ。
2月13日(木)
秋葉原貧乏グルメツアー。
マクドナルド。久々にマクドナルドのハンバーガーを食った(笑)。
2月12日(水)
秋葉原グルメツアー、ということで昼飯に「飲茶道楽」食べ放題500円(税別)に挑戦してみた。
うーむ、惨敗。ほんとに飲茶だけ食べ放題だけであった。スープとかご飯が食べ放題であったらば極楽。
お粥が小さいカップにあるだけであった。大きく期待外れ(500円だからそんなものか)。
2月11日(火)
疲れたので、寝てばかり。
2月10日(月)
事務所開きである。
朝行ったら、机などが全部準備されてら。有り難いことである。机ももらってしまった。じつにありがたいことである。
買い出しに出かけたら、共同出資者の友人の、といっても僕も知っているのだけれども、大手企業に勤める
Nさんから電話があって、ラオックスマック館で待ち合わせて、万世で昼飯を食う。
大手企業も大変なり。ちゅうか中華人民共和国にいきっぱなしというのはとても嫌だわ。
別れてから、イーサネットハブなどを買う。
夜、共同出資者とささやかに祝杯をあげる。和民で。
2月7日(金)
朝から税務署関係を回る。四谷だの新宿だの。
新宿で朝昼兼用でそば一茶で路麺。あっさりとねっ。
それから埼玉の蓮田へと。
新宿のプラットホームでまじまじと路線図と時刻表を見てしまった。
近いけれども私にはよくわからない。
なんとか電車を乗り継いで蓮田へ。共同出資者の家に赴くのは初めてである。
マイホームとはいいかも。
なんやかんやして夕方帰る。
2月5日(水)
税務署関係の書類をじっくり読む。ややこしいのう。
夕方、ですぺらへ。朝彦・一考合同誕生パーティである。
会社設立したことについて、加賀さんを初めたくさんの方からお祝いの言葉をいただく。ありがとうございます。
二階堂奥歯曰く
「代表取締役って、社長ですか?」
僕「社長だよ。社員二人だけどさ。」
奥歯「社長だったら、そんなよれよれのトレーナ着ないでください。格好悪いです。」
おっしゃる通り、たしかによれよれのトレーナーを着ていたのであった。しかし実態は貧乏だからこれでいいのだ。見栄は張らないのだ。着るものにもともと興味ないし。奥歯はいつもいい服を着ているからなあ。お金持ちは羨ましいなあ。
酒を飲んで気分が良くなってメートルをあげはじめたら(←死語)、隣に座っていた素天堂さんが逃げ出していった。なんか悪いこと話したかな。
今宵のですぺらは盛況、最近珍しい光景であった。
2月3日(月)
午前中、書類作成を行う。
午後、秋葉原へ。打ち合わせ。
2月2日(日)
早朝目覚めたら、スペースシャトルが爆発していた。
テレビを見たり、あれこれ考えたり。
1月30日(木)
役所回り。四谷税務署へ行って用紙を貰い、新宿にでて、新宿都税事務所、労働基準監督署など。
1月29日(水) 号外
20日に申請した設立登記申請が法務局に受理されたので、正式に会社設立となりました。よかった。
事務所は某電気街近辺になると思う。
気分がいいので前の日記を素っ飛ばして記録する。
1月28日(火)
近所の文房具屋で名刺用紙を買ってきて、プリンタ印刷。
午後、秋葉原へ。なつかしい人たちに会う。好意がありがたすぎる。
1月27日(月)
家で打ち合わせ。
神楽坂のロイヤルホストで昼飯を食う。ファミレス飯を食ったのは久しぶりだが、相変わらず不味い。うー。
その後、飯田橋の文教堂で調べもの。総務と経理の本を買いました(笑)。どっちもやったことないぞ。
帰宅後、総務と経理の本を読む。うー。
1月26日(日)
午後、こたつに入っていたら午睡してしまった。
ですぺらにて新年会。すきやきの会。若い歌人をいじくって遊んでしまった。失礼すまぬ。
韓国を中心にネット攻撃が展開していたらしい。うちのルータにも特定ポートに集中アクセスされていた。
MSのSQLサーバ狙いか。狙うとすれば確かにそこだよね(笑)。
1月25日(土)
ビジネスのことばかり考えていると頭が劣化しそうなので、ちょっと本を読み、音楽を聴く。
1月24日(金)
朝から法務局へ。定款を引き取って公証人役場で修正作業。その後また法務局へ戻って、再提出。これでもういいだろ。
昼の時間だったので、理工学部近くの「えぞ菊」で味噌ラーメンを食べる。何年ぶりだろ。6、7年ぶりかな。相変わらず量が多い。もやしが大量なのである。チャーシューが赤かったので、交換させる。赤いチャーシューはいかんね。
夜、「千と千尋の神隠し」をテレビで放送していた。
1月23日(木)
朝からみぞれまじりの雨。さむし。大塚で物件探し。池袋の物件を見る。10坪弱で家賃が7万円。広くて良い。不動産屋は当たり外れが大きいということを認識する。地道にマメに物件をストックしておかないと客のニーズに対応できない。ってどの業界でもあてはまることではある。
気分が良くなったので回転寿司屋でビールを飲みながら打ち合わせ。
携帯電話がなって、法務局から提出書類の訂正を指摘されたことを知る。うーむ。そんなところをついてくるか。司法書士に頼まずに自分で調べて提出したからなあ。ちなみに代書屋に頼むと15万円くらいかかるのであった。明日法務局に行かねばなるまい。
1月22日(水)
高田馬場にて不動産屋を回って、事務所の物件探し。8坪で8万円強が底値であった。意外と高田馬場は高い。
昼飯を「鳥安」で食べる。定食が450円と500円。しかも大盛り。鳥の唐揚げを残してしまった。食い物は安いんだけどなあ、高田馬場。
おかげで晩飯食えず。
別れて、江戸川橋の不動産屋をあたってみた。こっちでは7万の物件がある。講談社の近く。出版/印刷業だったらよかったんだが。
1月21日(火)
午後、Kさんに会う。
その後、神楽坂の不動産屋を2軒回ってみる。あまりいい物件はない。というか神楽坂の不動産屋がだめすぎ。
帰宅して、家で打ち合わせ。