1960年、大阪に生まれる。
大阪市立聖賢小学校卒業。
私立高槻中学・高校卒業。なんか金持ちが多い学校だったな。同級生が京都で有名なオカマになってる。
東大受験に失敗、浪人するもまた失敗。結局のところ、頭悪かったのね。予備校の寮で、上の部屋には原口一博(現衆議院議員)がいた。
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。やたら人間の数が多い大学だったな。政治学科の同級生(といっても400人ぐらいいるのだが)に故久和ひとみがいた。在学中、幻想文学会に参加。雑誌『幻想文学』の創刊時、お手伝いした。当時の幻想文学会には、倉阪鬼一郎、東雅夫、石堂藍、南條竹則らがいた。菊地秀行、浅羽通明も出入りしていた。変なヤツがいっぱい出入りしていて、今思うと物凄く面白かった。
1985年、日立ハイソフト入社。コンピュータに興味を持ったのでその手の会社に潜り込んで、ぬるい会社員生活を始める。日立系の会社はやたら堅かったな。MS-DOS全盛時代。MS
OS/2なんてのもあったね、憶えてる?
1987年、Macintosh Plusをキヤノン・ゼロワンショップから購入。CPU 68000(8MHz)、FD1ドライブ、メモリ1MBだった。外付FDDを同時に購入した。当然ハードディスクはなし。高くて買えなかった。購入キャンペーンで、演算星組の電脳手帳がついてた。で、幻想文学のことを少し思い出した。
日立製作所の大森第2別館に派遣されて働く。その職場で、手代と同僚となったのである。このころからMacにはまり始める。
1990年、インタウエアに入社。会社やめるの大変だった。11人目の社員だった。日立系の人間がスピンアウト(←この言葉ももう死語ですね)してつくった会社で、結局知り合いってことね。
プログラミングを仕事にしたいと思って、3年足らず修業してみたが、たいして才能がないことを悟る。MyScan Grey用のソフトやらSun
Sparc用のソフトなどを作った。MacのToolBoxはなんとか使えるようにはなってた。このころ、店主を訪ねてきた手代が、インタウエアに引き摺り込まれる。
その後、マーケティング、広告宣伝、広報の仕事を行う。これは割合肌に合ったようだ。
1999年、倉阪鬼一郎に頼まれて長屋サイト「牛込櫻会館」を始める。道楽ですね。
2000年、インタウエアを退職。つーか、一時にいっぱいやめちゃった。同社は年末に倒産。ホントは多分倒産しなくてもすんだと今でも考えている。
森鴎外の『北條霞亭』を昔読んで、隠居いいなっと思っていたので、すかさず楽隠居を決め込む。われながら、バカである。
2002年、流石にずっと楽隠居してもいられないので、東京精密という会社に入社して、働き始めたが、いろいろ気に入らなくて、2ヶ月で退社。辛抱していたら、今ごろ広報室のゼネラル・マネージャになっていたと思う←だいぶ家族に文句言われた。
2003年、アイサシステム有限会社をインタウエア時代の営業課長(手代である)らと設立。
2003年、このDeepMacを開設。現在に至る。
現在使っているマック
初代iBookタンジェリン(PowerPC 750 300MHz/メモリ288MB/HDD 30GB)OS 9とX切り替え。
そろそろ新しいノートマックがほしいところ。